新宿副都心のホテル ハイアットリージェンシー東京にて21日より写真展示が始まりました。ホテル内の2つ星フレンチレストラン「トロワグロ」とのコラボレーションでお仕事をさせて頂き、そのご縁で今回の企画展にお招き頂きました。展示した作品は、取り組んでいるいくつかの作品の中で特にアバンギャルドなシリーズです。ホテルというパプリックな場所に相応しいのかどうか、未知数ではありますが、むしろ面白いと信じております。写真展のタイトル「incomplete」は(未完)という意味です。日々僕の頭の中に浮かぶ数々のイメージの断片を写真化した作品。意味やアイデンティティーを求めずに「???」な感覚をそのまま持ち帰って頂けたら作家としては嬉しい限りです。3月末までホテルハイアットリージェンシー東京 ロビー階の下(1F)にて毎日展示しております。新宿にお越しの際にはぜひお立寄りください。
ホテルURL
http://www.hyattregencytokyo.com/index_pc.html
yoshiki
「写真の値段」というものについて考えさせられる今日この頃。
付けられる値段というものが、アート作品、コマーシャルの仕事に対し、その関わる人達がどういう捉え方をしているかをみる一つの指標になるのは間違いない。
「写真あっての@@でしたよ」という考え方を持ってくれる人にとって、写真を撮る人はレスペクトの対象にもなりうると思うし、たとえお金で対価を払えない場合でも、それ相応の人間的繋がりを担保できることが多い。そんな時は嬉しい。
逆に、紙切れ(またはデータ)としての写真がいま必要なだけ、持っている技術(とかデータとか作品)をとにかく今提供してくださればそれでOKというスタンスの人は、その共有する ”時間” の密度も薄くなることが多いし、ノドもと過ぎれば、、という関係になることもあるかもしれない。
とはいえ、関わる人やコミュニティーに対しいろいろな補填を期待することが、そもそも間違いかもしれない。
そもそもこの職業は、はじめからリスキーなものだから(?!)
アート作品の場合、何十万と投資して作るものでも、はたから見れば紙切れ1枚でしかなく、価値を見ない人には、それこそなんの価値もない。
コマーシャルの場合でも、写真を撮る時間というのは 125分の1秒とか、60分の1秒とか、とても短いわけで、それを500回繰り返しても、結局「1日」ということになる。それを「ただの1日」と考えるのか、代わりの効かないスペシャルな1日と捉えるのか、、このあたりは、人それぞれのセンサーの違いが、写真の仕事を得体の知れないものにしていると思う。
「1日」の創造のために費やす膨大な下作業、個人的な時間は、とても「1日」とは呼べない代物であるけれども、その価値を計るはっきりとした物差しは残念ながら用意されていない。(写真家の悩み)
だからこそ結論としては、繊細な人と人との関係性、リスクを互いに共有しようという想いが大切であって、とにかく一緒に腹を切ろうという想いがあるかないかは、大きいと思う。
損はダメ、こちら側はとにかくベネフィットがマスト、写真の中身はあまり大事じゃない、技術があればそれだけでいい、、、では、最終的に見えない何かがくずれていくんだと思う。
でも、大きな話をすれば、リスクが想定外の出逢いや機会を運ぶこともまたあるということ。それを個人的に信じる二人が手をつなげば、なにか大きいものが生まれるスタートになるんでしょう。そういう出逢いを重ねられる人だけが、仕事の真の価値を理解できるんだと思います。
yoshiki
展示用に120cm x 170cm の巨大ラムダプリントを発注してしまった。なぜか少し勇気が必要なり。巨大プリントの制作は何度しても緊張する。仕上がりの想像が難しいからだろうか。失敗したくないという想いが強すぎるせいかも。実際にできてみないと結果は分からない。構想も仕込みも撮影も、結局はコントロールしているつもりでもどこかは " エイヤー "になる。全ては疑問の繰り返し。なんで最後の発注段階になって緊張するんだろう。それ自体はただデータを渡すだけなんだけど。
yoshiki
2012年、最初の月から昨年に引き続き作品撮影の雨アラレであっという間に一月が過ぎようとしています。色々なインスピレーションの乱立から不協和音的な秩序回復のひとつひとつが写真となります。難しいモチーフに挑戦しているので時間がかかります。下準備ばかり。今年の後半はいくつかのシリーズ作品をまた世に出せる年になりそうです。
仕事も作品も前進あるのみ。
さしあたって2月半ばからは、新宿区副都心のハイアットリージェンシーホテルTokyoにお招き頂き、企画写真展を開催する運びとなりました。こちらは、いままで撮り進めてきた作品群ではなく、今回だけの撮り下ろしのものを幾つか展示しようと思っています。まだ完成していないのですが。間に合うのかしら。。
yoshiki
昨日、本年度最後の仕事の撮影を終へ、
本日、本年最後の作品の撮影を終えました!
今年は、仕事と作品の撮影がフィフティフィフティの割り合いで、理想的な年でした。お金は決してたまらないけれど、作品を作るなかでの限りない挑戦が仕事にも十分に生きたし、あらゆるリミットは自分がただ先入観で設定している幻想であることも体感できました。
陰をも光に転換できるアートの真髄は、レベルの高いコマーシャルで
あれば、まだまだ通用するし、そこにかける、そこを表現しようとする勇気が、とにかく一番大切なんだと思いました。
ありきたりなものは排除しよう。そんなに創造の世界はちっぽけなものではない。
この人にはこのくらいよものでいいだろう、このコミニティーには、この位のもので丁度いいだろうというモノの提供の仕方は、インテリジェンスであっても、絶対にあってはいけないことだと思います。限りなくアーティスティックな腹黒さをも取り込む世界と、とほおもなく美しい真っ赤な夕陽のような純真な世界は、決して相反するものではなく、ウラの世界、本質的な世界ではしっかりつながっているということをこれからも証明しつづけていきたいと思います。それが、僕の来年の使命です。
リミッターは完全にオフです!
yoshiki
僕の写真集
" The Happiness Within" を 映像作家の矢吹和彦氏が映像化してくれました。声の主は、写真集に登場する黒人男性 ジェームズ。ジェームズは5歳の時に兄に傘で目をつつかれ片目を失明。その後学位を取り病院に勤めるも、HIV陽性であることがわかり辞職。支えてくれていた白人のフィアンセと人種の違いを越えられず(家族の反対で)別れ、希望を失いホームレスに。10年後の 2005年に僕はニューヨークで彼に出会いました。当時の僕にとっては、彼と話をすること以上に意味のある時間を知りませんでした。写真集に収めることができなかった彼の肉声を、僕はテープで録音していました。その言葉は、とてもここで語れないほど美しく、深く、尊厳に溢れたものです。いまも彼はNYで生きています。
この映像は東京で開催したイベントで流したものですが、今日アップいたします。ジェームズの肉声は、長いテープのうちのほんの一部ですが、是非聴いてください。BGMはスティービーワンダーとビージーズです。いつYoutubeから削除されるか分からないので、いまのうちにどうぞ。矢吹くん御協力ありがとう。
→ 映像はこちらからどうぞHASE YOSHIKI
写真のジャンルには色々ありますが、
その中にドキュメンタリーというのがあります。
ドキュメンタリー写真というのは目の前で起きているニュースだったり
事件だったりストーリーだったりを記録、伝達するというのが一般的な
理解だと思います。
でも、ドキュメンタリーというのは必ずしも真実とは限らず、
またドキュメンタリー以外のものが真実でないとも限らないと思います。
ドキュメンタリー以外の写真、、、
例えば、
写真家が勝手に作り上げた世界、
完全なる創作の世界、
ファンタジーの世界であったとしても、
撮っている人や、鑑賞する人の中で
電気が走るような瞬間がもしあるとしたら、
その写真はなにか”真実に触れた写真”と言えるのだと思います。
その真実は、だいぶニッチなものであるかもしれませんが、
真なものにメジャーもマイナーもありません。
そういう意味では、社会的な意味を持つ必要はなく、
はたまた作るものに ”意味” そのものすら必要ないと言えるでしょう。
テーマもいらないし、伝えたいこともなくてよいと思います。
それを通じて人と出会ったり、何かを学んだり、自分が成長できる、、、、
というのはナンセンスです。
体よく作るものには本質的な限界があるでしょう。
(作った結果としての出会いや学びはあると思いますが)
何も持たない絵やダンスや写真であっていいわけです。
何も持たない、、でも、足を止めてしまう。
ただ一点、「!」 という電気があるかどうか。
それが唯一大切な持ちもの。
「!」があれば、その何かは見る人にとっての
完全無比なドキュメンタリーに自然になっています。
今日はそんな絵や写真をたくさん観ることができました。
yoshiki
自家発電が大事です。
一応、アート、写真の話です。
”自分にしか出逢えない”
という感覚が写真の撮り手の命だと思います。
お金があればカメラは誰でも手にできますし、
プロの写真家・カメラマンであれば、
1人数台のカメラを持っているのが普通です。
でも、その道具で唯一無二のイメージ世界を自分自身の歓喜のために
撮ることができるかどうか。
自分自身のためというのが大切な気がします。
まず自分の心が飛びあがって歓喜しているかどうか。
1枚の写真を撮れたことで自分を祝福したくなるかどうか。
そういう意味では、
アマチュアの中に最高の写真家がいることも多いにあると思います。
カメラを1台も持っていない人の中に、
”世界と出逢ってしまっている人”がいるでしょう。
その人は撮る ”器械” や ”機会” をいままで持たなかっただけで、
自分の抜き差しならない何かを自分の目に写しとっているんです。
ただ形として残していないだけ。
正規軍に予備軍並に見えていない人がいるように、
予備軍のなかに正規軍をしのぐ強者がいるでしょう。
そう考ると、
玄人ー素人、プローアマチュアの違いは軽視すべきです。
業界で生きていくこと、お金を稼ぐ意味でのプロ、
常に安泰であることに重きを置くならば、
そこにはクリアな境界が分かり易く存在します。
”食べていけているかどうか” です。
でも僕は、それだけではダメだと思うんです。
食べて行けるかどうかというのは、
ものごとや創作の本質的なスタートにはなりません。
本物の創作力や実力の基準にはならないと思います。
いいものは必ず世に出る、金になるということを言うひとがいますが、
僕が最高によいと思うもので大きく世に出ていないものは
いくつもあります。でも自分の感性がとくに鈍いとも思いません。
またまた音楽での例えですみませんが、
先日観たバンド、最高でした。
たぶん、いま音楽で食べているようには見えません。
でも、とにかく”自家発電”してるんです。
(そう、あのバンドのことです。。)
他にはない、自分の肉体、気力、精神から溢れ出すものだけが頼りで
勝負できています。音楽がよいわるいではなく、
とにかくオリジナルです。
薪も枝もないところで火を燃やそうとするような苦しい苦しいバンドです。
わずかな火種で大きな炎を起こそうとします。
この前のライブでは、その炎がとても大きく燃え上がりました。
そして自分たちでさらに油を注ぎます。
他の人から力を得よう、影響を受けようとするより、
自分のなかの深いところにあるエネルギーを掘り起こす、
燃やすことに必死です。
友人のバンドだからひいき目に観たとしても、
マジでかっこいいと思います。
絵も写真も同じだと思うんです。
自分自身に向かって、
自分の個性の証明をしていきたいものです。
人に証明するのではなくまず自分に。
そういう意味では、自分の作品はまだまだ全然だめです。
プロではありたいですが、精神的に成熟するのは怖いです。
精神が大人になりきったら僕はいまは終わりだと思ってしまいます。
初期衝動がまだまだあるので、それを大切にしたいです。
自家発電できる作り手でありたいなあと思う今日この頃。
例にあげたバンド、ご推察の方、、ハイそうです、あのバンドです。
yoshiki
最近、写真をやっていてつくづく感じるのは、
つぎの2つがいかに大切かということです。
・細心の計算と周到な準備
・”場”の偶然を取り込めるマジカルな力
「細心の計算と周到な準備」というのは、
被写体になってくれる人やモノの細かい手配、
撮る場所の構想と探求、あらゆる想定外をも”想定”した
バックアップなどなど、
とにかく撮りたい絵を実現するために
必要なあらゆる準備です。
頭で描いた絵を実現する過程では、
無理だろうなあと思ってしまう障害は必ず出てくるものです。
でも、なにかしらクリアできる方法もあるかもしれないので、
とりあえず "無理" を実現化するためにあらゆる手を尽くします。
ときには少し強引に。
ホームセンターに行って必要なモノを探すという細かいことから、
被写体になって欲しい人へのメールや電話での繰り返しのお願い、
はたまた協力してくれる人、迷惑をかけてしまう人に頭を下げるようなこと
までも含まれます。
そういうことを限りなく行います。
そして、2つめの「場の偶然を取り込めるマジカルな力」というのは、
たとえどんなに準備を完璧にしても、
実際のところは60%しか準備ができていない
ということを、自覚している状態を指すと思います。
つまり、写真は、
撮る瞬間に起きることだけが全ての世界ですから、
いくら細心の準備をしても、その準備は全て”過去”です。
撮影の当日、撮影の瞬間に、その場で身にふりかかる出来事を
管理はできません。
それが何かは分かりませんが、何かが ”起きて” しまいます。
(または、残念ながら何も起きなかったという結果になります。)
自分ではコントロールできない部分が絶対に残るということです。
ただその時、反動でとる自分のリアクションとそのクオリティこそが、
真の写真家の腕の見せ所であると思います。
それが「場の偶然を取り込めるマジカルな力」を指します。
何かが ”起きている” ことにそもそも気付くことができるか。
できたとして、美までもっていけるのか。
瞬間的な判断だけが頼りです。
体中の神経が暗視レーダーのようになっています。
一例をあげます。
人の写真を撮っているとします。
被写体の人が疲れてしまい一瞬しゃがみこんでしまいました。
次に立ち上がる時に、
たまたま地面に落ちていた直径30センチの大きな石を
両手で拾い上げたとします。
こちらはものすごく神経を研ぎすましています。
その石を拾い上げて立ちあがった姿が、万一 ”何か”だったとしたら、、
その瞬間、石を持ったままでいてもらうのか、
はたまた、やはり地面に戻してもらうのか。。
瞬間、こちらの側に予想もしなかった選択肢が突然つきつけられるのです。
(被写体の人は、そんなことはどこ吹く風です)
「被写体が石を持つ」ことは想定外でした。
そして、何の説明もつけられないでしょう。
そんなものは最初からありません。
それでも、その石を持つか持たないかの二者択一に
僕は ”正解” があるんではないかと思ったりします。
写真ができたときに何が見えてくるはずなのか、、
石のことは忘れるべきだったか、
それとも、それこそが ”起きていた” ということだったのか。
撮る瞬間に分かるときも分からないときもあります。
「撮影を始めますから、その石は下に置いて下さい。」と
軽々しく言ってしまうのではないということです。
究極の判断が 1秒〜5秒 くらいのリミットとともにつきつけられます。
そこに選択肢があることが ”見える” こと、
それを取捨できるかどうか。
才能とかマジカルな力にかかってくる部分なのかもしれないです。
昔の写真家で神懸かり的な写真を撮っている人の作品を見ると、
おそらくそういう ”偶然” をもコントロールするような
悪魔か天使か分からないような力を備えていたに違いないと思うことが
あります。
それこそが、 真の写真力 だと思います。
こんなことを書いたのは、図書館で見た画集に載っていた言葉が
とても心に響いたからでした。ジョアン・ミロが残した手記だそうです。
" 鉄片や石ころ、またとない偶然から見つかった品々を利用すること。
芸術で肝心なのはこの魔法の閃きなのだ。
埃であれ、光のきらめきであれ、
僕には出発点が必要なのだから" -- Juan Miro
昨年2010年から頻繁に、本当に頻繁に岐阜県に通い続けています。
岐阜県の最南部、「恵那(えな)」という街に。
もともと「ふるさとがえり」(
http://hurusatogaeri.com/)という映画の制作スタッフとして
スチールカメラマンの仕事をするためでしたが、
映画の撮影をきっかきにして、
パーソナルワークの制作も彼の地にて開始しました。
映画の撮影は一足先に昨年夏に終了し、
残すはパーソナルワークの制作のみとなりました。
写真作品の製作期間は1年半を越え、
まだ長期戦まではいかないけれども中期戦の様相を呈してきています。
ここ1ヶ月に仕上がった何枚かのカットは、
これまでやってきた制作に完全にギアが入った状態を証明するような
写真となりました。
頭での印象としては、
今回の作品は本当にパーソナルなもので、
社会的な要素はゼロ。
”日本”という舞台で、自分の審美眼、状況構築力、アドリブセンス、
スタイリングセンス、そして、写真の神様が降りてくるか、、否か、
というレベルでのみ製作に取り組んでいる作品です。
2006年にアメリカから帰国して以来、自分のビジュアルテイストとして
日本という場所でどんな写真を撮ることができるのか悩みました。
「木造の茶」より「レンガの赤」を好み、
「湿り気」より「乾燥」を好み、
「具体的な風景」より「無国籍な風景」を好む自分の写真は、
じめじめした緑が跋扈し、電柱が乱立する日本の風景とは
ビジュアルマッチングができないと悩んでいたのです。
でも、恵那という街に帰ってきて(実は祖父と父の生地であり、
本当に偶然そこで映画の仕事が発生しました)、
長い時間その街と向き合い、ローカルの人達とのエンドレスな
出会いを繰り返すうちに、
自分が得意としていなかった背景としての風景=
湿り気やピュアすぎる緑色、
といったものにもどう取り組めばよいかが分かってきたのです。
むしろ抑えようのない日本的な濃厚なエキスを使って、
その反動で写真を切り取ることができるようになってきました。
僕の脳みそには、
いま完全にロジックがなく、
目の前で起きるビジュアルに対して
瞬間的な ”合致” ”不一致” だけを(確信を持って)
判断する器械となっている気がします。
メッセージも何もありません。
とっても嬉しいです。
こっちの方がいいのかなぁ、、これもなんとなくいいよね、、
というレベルのものがほとんどなくなってきました。
本当にようやく、日本の風土を背景に
力強いものを撮ることができるようになってきました。
心地よい風景写真や、空や山、動物、、
が好みな鑑賞者には、
完全に期待を裏切る作品となります。
でもそれでよいのです。
写真は恵那でのスナップ(作品ではありませぬ**)
明日、
7月4日(日) 午後10:00〜11:30 NHK 教育 ETV特集に
少し出演します。是非見て下さい。
YOSHIKI
告知でーす。
たぶん文章長くなりまーす。
最後にイベント告知があるので、終わりまで読んでくださーい。
本題。
ニューヨーク時代に HIV +1の人たちとの出会って写真を撮り
はじめてから、6年ほどの時間が過ぎました。
個人的にHIV問題に関わりはじめるようになり
6年が経ったということです。
仕事以外でここまでしっかり関わったことって正直あまり
なかったかもしれないです。
日本に戻ってから写真集「The Happiness Within」の出版があって、
そこから陽性者支援団体「ぷれいす東京」の生島さん、大槻さんに出会い、
新宿2丁目 Akta ディレクターの張由起夫さん(ハスラー ザ アキラさん)に出会い、
日本のHIV陽性者の人々と出会い、ゲイコミュニティの人々に出会い、
お医者さんに出会い、いろんな不思議な人にも、素晴らしい人にも出会い、
自身の写真展も計12回(?)を数え、
HIVを軸としていろいろなことに想いをよせるイベントを開催、
コラボ参加などしてきて、たくさんの経験を積みました。
(まだヒヨっこですよ。)
僕がHIVのことに関わっているのには、わけがあります。
こんなことが頭に巡るんです。
「僕はなにをして生きていけばいいんだろう」
「なにが人生のテーマなんだろう」
「なんでむなしいんだろう。」
「孤独?」
「さびしいのはわるいのか?」
「大切な人って、ほんとに貴重だよね」
「何で不安なの」
「社会ってなに?」
「どう関わればいいの?」
「助けるってなに?」
「そんなことできるの?」
「答えってあるの?」
「いまの自分はしあわせなの?」
「あしたから何をするの?」
こんなあらゆる問いかけにいつも新鮮な答えや発見を
与えてくれるんです。
それがHIVの問題に関わるということなんです、僕にとっては。
不思議な不思議な問題(=力)なんです。
「検査を受けよう!」「ストップ ザ AIDS !! 」が、HIVではないんです。
(それも一部でありますが)
白黒では割り切れない。たくさんの「?」が残るんです。
HIV陽性者であっても、そうでなくても、ストレートでもゲイでも、
女性でも男性でも、どんな国籍、人種でも、あらゆる垣根をすぐに
とび越えます。
と同時に、つねに繊細な問題と障壁が残る感じもあります。
言語化、種類分けできない「中間」を感じます。
すごくリアリティがあります。
あらゆることが自分の問題に聞こえてきます。
生活そのものを立ち止まって考える貴重な時間を与えてくれるんです。
自分が日々やっている仕事が一旦頭から離れ、
ミーハーな自分に気づいたり、まじめな自分に気づいたり。
自分の "本当の仕事”について考えさせられるんですね。
うー苦しい。。
では、告知でーす、
66回目を迎える 新宿2丁目のイベント「Living Together Lounge」 に
ゲストスピーカー(=朗読&トーク)として出演いたします。
以前、ソトコトなどの雑誌などでも記事を書いたイベントです。
小さなクラブでの小さなイベントですが、
6月6日(日)の夕刻、遊びにいらしてください !
少しいつもと違う何かを感じてもらいたい、、です。
短いですが、素敵で不思議なイベントです。
お待ちしてます。
Living Together Lounge vol.66
新宿2丁目 クラブ Arch 17:00-20:20pm
イベント詳細以下(これに出演します)
http://www.hiv-map.net/01_topics.html#043
(関連サイト)
過去のLiving Together Lounge
http://www.living-together.net/
FM TOKYO x Living Together(関連イベントです、曽我部恵一さん出ますね〜)
http://www.thinkaboutaids.jp/
YOSHIKI
いま取り組んでいる仕事が、
いろいろなことを教えてくれる。
そして、写真展の会場で出会った明光義塾という塾を
群馬で開いている方から久しぶりにメッセージを頂いて、
すごく内容も素晴らしく、改めて同じことを想ったので、
その方に送った自分の返信メールをそのまま載せます。
いまこう想ってます。
** 自分メールよりの抜粋 **
ところで、最近想うことがありまして、
1.
「明日」というのは単なる仮定であって
もしかしたら「明日」はないかもしれない
2.
「いつか」というのも理由のない憶測であって
自分の考えている「いつか」は永遠に来ないかもしれない
3.
数字ではかれる概念で生活をつくると
人生の軌道が狭くなる
4.
「自分の本当にしたいことは何?」という問いに
今の状況を前提にして答えることが多い
5.
上記 4.の”問い”に突拍子もない答えがあっても
全然よいのではないかと思う。
たとえば、「来月から世界一週してきます」とか
というような状況の自分に少し気づきました。
先日、東急ハンズの工具売り場で、
5歳くらいの子どもがプラスドライバーの先っぽを
床にごりごりあてて床を掘ろうとしている姿を見ました。
なんかハッとしたんです。
「プラスドライバーの使い方」は別に決まっていないんだって。
あの子どもにとってのドライバーは
「床を掘って傷つける道具」だったんです。
それでもよいですよね。
最近取り組んでいる仕事でも、
そういった自由な心と発想がものすごく求められています。
僕の仕事はやはり、自分の気持ちと心と脳みそを
どんどん開放(解放)していくことだと思います。
そういう生き方をしたいですね。
******
Yoshiki
SYNCHRONICITY `10 、
曽我部恵一バンドだ ! !
よい詩を見つけたので、
転載します。
========転載==========
「苦難にある者たちの告白」(日本語訳)
−ある患者の詩−
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
11月14日のPLSMISでの " The Happiness Within " は
お子様連れの方も大歓迎でございます !
幾人の方からお問い合わせがございましたので、
本ブログにてお返答させて頂きます。
とにかく ハートフルで暖かい空間を創りたいと思っております。
詳しくは、 www.kikyu.net まで。 yoshiki
11.14 のイベントに向け、DJ Mix のイメージ固め。
DJ Ko UMEHARA さんにお願いするMIX 用の "土台固め”。
イベントでどうしても表現したいスウィートでハートフルなフィーリングを
伝えなきゃ。こころがオレンジ色になるような音の共鳴。
DJ の人と深く関わって作業するのが初めてなんですんごい楽しい。
うまくイメージを伝えないと。
あーこの曲の感じ 、、あの曲の感じって欲張りになってしまう。
好きな曲、音、リズムの間をトリップして、ブリッジして、MIXして
無限の空間を旅するDJの人って憧れる。
すごい快感だろうね。 yoshiki
11.14 の The Happiness Within イベントは、
南青山の PLSMIS(プラマイ)という" 素敵な" ギャラリーで開催します。
PLSMIS のサイトご覧下さい !
http://www.plsmis.com/2009/11/14/
yoshiki
50名様限定のスペシャルイベントを開催します。
写真集 The Happiness Within の世界観から生まれ、
クリエイター仲間のサポートにより実現する
ライブ、トーク、ダンス、ムービーなどで溢れる
スペシャルなイベントです。
秋の夜のひとときをハートフルかつクリエイティブな空間で
お楽しみ下さい。
お申込み方法、詳細は以下にて。
皆さんのご来場をお待ちしています !! Hase Yoshiki
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11/14(SAT)『The Happiness Within』開催決定!
SOURより「星島一隆」、ライブペインティングに「田内万里夫」を迎えて
お届けします。 トークを中心に展開されるいつもとはちょっと違ったイベントスタイル。
ハートフルなフィーリングと暖かいメッセージの溢れる特別な空間をお楽しみください。
『The Happiness Within』@PLSMIS 南青山
2009.11.14(SAT) openstart/19:00
adv : 1000yen(50名様限定...要予約)
詳細:http://www.kikyu.net/
お問い合わせ・メール予約:info@kikyu.net または contact@yoshikihase.com
■LIVE
・星島一隆(SOUR)
■DJ
・Ko Umehara
■TAPDANCE
・SARO
■MOVIE DIRECTION
・矢吹和彦
■LIVE PAINTING
・田内万里夫
☆メール予約(50名様限定):
①タイトルに「11/14チケット予約」、
本文に「カタカナにてお名前・枚数」を明記の上
「 info@kikyu.net」までお送り下さい。
②フォーム予約からもどうぞ!!
https://ssl.form-mailer.jp/fms/628efdd466700
※ご返信メールを持ちまして予約完了となります。
神戸 YAMAKIギャラリーでの個展が終了しました。
各方面での紹介、ブログなどでのコメントありがとうございます。
そしてご来場下さった方々、ありがとうございました。
9月19日からは山口県で小さな写真展示会を開催します。
www.yoshikiase.com のトップから
インフォへとべるようになってますのでご覧下さい。
僕も現場に行って初日の19日にトークライブをやります。
一緒に飲みましょう。
最近はやることてんこもりで、色んな再会が多いですね。
3日に1回はいろんなところで、いろんな再会をしてます。
ぼくの今年の後半はなんだか受け身がよいそうで、
とりあえず自分の大切なテーマにそって着実に動くのがよいそうです。
今日の午前中はおもしろいことがあって、
友人のサックスプレイヤー 吉田祥一郎くんから突然の電話で
呼び出され通訳を頼まれました。
内容はNYから来てるサックスプレイヤーの個人レッスンを
突然受ける事になったとのことで、プロがプロの個人レッスンを
受けるというレアな現場に同行。
その当のNYサックスプレイヤーは
大御所の Vincent Herring でした。
なんでもジャパンツアーの真っ最中だそう。
目の前でほんとに無防備で生の超一流のプレイを聞けて
ラッキーでした。祥一郎くんも当然相当な腕前なんだけど、
二人の掛け合いを見ててやっぱり写真を頑張ろうと変なことを
思いました。土曜の朝の歌舞伎町のジャズバーで
なんか閉店後みたいなところでやったんですが、すごい楽しかったですね。
見てただけなんだけど。
まーとにかく山口県にてまた展示を行います。
ブログ完全に復活だ。 yoshiki
写真はVincent さんのプレイフォト(場所不明)とアルバムジャケ

写真展 The Happiness Within が 神戸の YAMAKI Gallery で
始まりました。
トークショーとオープニングパーティも無事終了。
このシリーズの写真展も通算で 10回目を迎えました。
色々な土地と環境で継続していくのは大変です。
しかし、毎回かならずやってよかったと感じます。
見に来る方は鋭い洞察で作家の人間としての中身を透視します。
色々な啓示をときに感じます。
方向性はこういう機会にとてもクリアに見えてきます。
YAMAKI Gallery では 8月29日まで開催致します。
詳しくは ギャラリーのHPにて。 http://www.gyfa.co.jp
上質なギャラリーでの展示を是非ご覧下さい。
来月は 山口県 にて11回目の展示を行います。
闇から光が生まれる。
Yoshiki




神戸のギャラリーにて個展を開催します。
関西地区の方、是非お越し下さい !!
YAMAKI GALLERY
http://www.gyfa.co.jp/kashi.htm
期間 8月15日 〜 8月29日
8月15日(土)15:30 オープニングアーティストトーク
過去の作品を多く展示します。
神戸で会いましょう。
ブログ復活してんじゃん。

突然ですが、ブログを一時 お休みいたします。
展覧会などの情報は、ひき続き更新いたしますので
宜しくお願いいたします。
また、いずれ再開することもあると思いますが、
まずはこれまでの御拝読、ありがとうございました。
御礼にて yoshiki
写真を撮っていると
人間の表情というものについてよく考える。
明るい笑顔の裏に悲愴が隠れていて
はたまた真剣な眼差しに奥行きがなかったりする。
「歓びを歌にのせて」というスウェーデン映画のワンシーンに
夫からDVを受けた女性が、同じく不幸を背負った男と目をあわせ
最高の笑顔をつくるシーンがある。
過酷な日々の現実につぶされそうなシチュエーションから
溢れ出た感情は「歓び」だった。
この歓びはDVを歓んでいる訳では決してなく、
それを経験した自分、その時間を生きた自分への喝采なんだ。
あたかも、「私たちは ok ね、、」と言っているかのごとく。
DV→笑顔 、普通には考えられないこんな感情表現が
繊細なリアリティを伝えていた。
理屈じゃないし、ロジックでもない。
人間ってそんな単純じゃない。
yoshiki
p.s. 写真は上野のゴリラくんの表情 !
夢も目標もありません。
そういうものを明確に持っているほうが
よいのかもしれないと、ふと思うことは時々あるにせよ、
実際のところ確固たるものはなにもない。
考えてみても、どれもこれもなんとなく違う。
なくてはいけないのだろうか。
友達と話をしているときに聞いてみた。
夢って持ってる?
目標って持ってる?
「段階があるんじゃないかな、、」
「ビジョンだったらあるかな」
というような答えをもらった。
僕にはなにもそういう明確なものがないのかもしれない。
子どもの時に持っていた夢ってなんだろう。
ひとつだけ頭に浮かぶとしたら、
「遠い国にたくさん行ってみたい。」ということだったかもしれない。
それは、まだ十分ではないにせよ、ある程度は消化してきた。
では、これからの夢、目標ってなんだろう。
深く悩み、大きく歓ぶ。
そんな道を進むこと。
それでは、夢とか目標とは呼べないかな。
不真面目なわけではないんだけどね。
yoshiki
六本木での用事を済ませてから
ふらりと立ち寄った富士フォトサロンで
素敵な写真展を開催していました。
芥川善行氏 撮影の航空写真の作品展。
作家についても作品についても全く知識もなく
加えて、写真展のタイトルも正直月並み、
また、最初の何枚かを見ただけではあまりこれといった
印象も持たなかったのですが
見終わったときには、なんとなくこころのやすらぎと新鮮さを
与えてもらったようなさわやかな感覚が残りました。
自作で作った 4x5 の大判カメラで撮った作品だそうです。
撮影に使ったカメラも展示してあります。
詳しくは、富士フォトサロンの以下サイトをご覧下さい。
http://fujifilmsquare.jp/detail/09052901.html
8月に神戸元町、9月に山口にて写真展 開催が決定しました。
詳しいインフォはまた別途ご報告します。
yoshiki
固有の”質”を見失ったらおしまいだ
まわりがゆるいときにはじぶんもゆるくする
そういう類いの柔軟性は無用の長物だ
厳しさはとことん追求すればいい
飛びたいときは 飛ぶことだけを考えて
ほかの飛行機と横に並んで離陸するのは無理な相談だ
半日車を駆るだけで、まるで違った時間がながれている
さみしくて、むなしいような平日の時間
湿った潮風でレンズは曇りがち
何を撮っても灰色に
無限の大きさ
鹿島の海は大荒れ
釣り人は命がけ
波の轟音が空気をのみこむ
yoshiki


本日、2回目の投稿
”野湯”ってご存知でしょうか?
「のゆ」と読むんですが、温泉のことです。
でもただの温泉ではなくて、誰が管理するものでもない
自然のなかにただ溢れ出る熱い泉。
大地から湧き出る熱い水たまりという方が近いかもしれません。
これを人間が管理,調整、デリバリーすることで
いわゆる「温泉」となります。
最近、作品のコラボをしているヴィジュアルアーティストの
友人、そのまた友人と3人で撮影旅行にでかけました。
撮影の合間(というより、撮影が脇役になってしまったが)に
野湯を探しに探検に出発。
これがもう本当に大変なことになりました。
野湯の場所はインターネットでもほとんど公開されておらず
見つけた人も情報共有をしたがらないので(本物の秘湯ということで)
正確なポイントがどうしてもわからないのです。
ということで、どうしても勘が頼りとなります。
ところが、今回奇跡的に野湯を見つたのです !!
万座温泉の近くの林道、そのさらにわき道から
道のない森に分け入り2時間程度、、
あったのです、野湯の源泉が。
わずかな情報だけを頼りに、80%勘で深い森に分け入り、
土と涸れ草、枯れ木、虫、水、泥をかき分け、
全身ドロまみれになり、ときには地面を這い、
なんと源泉を見つけることができました。
「硫化水素噴出により立ち入り禁止」などの怖い看板が
壊れてたおれていたり、友人は転んで足を打撲、
ぼくも本当に途中で引き返したくなりました。
今回到達できたポイントは、
もちろん僕らが第一発見者というわけではなく、
到達した人は過去にもたくさんいるのですが、
きつく、二度と踏み入りたくなくなるような道程でした。
とにかく厳しかった。
圧倒的な生命力をもつ草木が群生する森を抜けると
突然白濁のお湯の流れが目の前に現れたのです。
誰も人間のいない森の奥に。。
僕ら3人は素っ裸で温泉に飛び込みました。
酸性が強めで、若干傷などが痛みますが、湯加減は最高でした。
大量に溜まった湯の花にも感激しました。
復路は往路よりもさらに大変で、
途中進行方向が分からなくなり、山での遭難の怖さを
少し実感しました。
最後は無事にスタート地点に戻ることができましたが、
着ていたものは上から下までドロ塗れで使い物に
ならなくなってしまいました。
温泉というのは「地球の割れ目から噴出する熱い水なのだ」と改めて実感。
とても怖く、刺激的(=感動的)なショートトリップでした。
ちなみに、今回のポイントに達する道のりは
野湯愛好家のあいだでは、これでも「初級」とのこと。
では、上級とはどんな道のりなのでしょうか。。
油断大敵、あまりに気軽にこういう冒険を繰り返してはいけないですね。。
自然は怖いですから。
今回は本当にラッキーだったのだと思います。
yoshiki







もう2週間ほど前ですが
福生にある横田米軍基地に行きました。
疑似アメリカ体験です。
基地に入るのにはパスポートが必要でした。
横田基地はカリフォルニア州になるそうです。
(付添人のお話)
なにもかもがアメリカ本土にいるようで
とても懐かしい気持ちが湧いてきました。
キロ単位で売る食べ物
独特のおおざっぱな建築
フレンドリーなひとたち。
基地に住む人たちに日本にいることを忘れさせよう
とするかのような配慮が感じられました。
8月に誰でも入れる一般公開日が1日だけ
あるそうです。
とてもおもしろいですよ。 yoshiki
