自家発電が大事です。
一応、アート、写真の話です。
”自分にしか出逢えない”
という感覚が写真の撮り手の命だと思います。
お金があればカメラは誰でも手にできますし、
プロの写真家・カメラマンであれば、
1人数台のカメラを持っているのが普通です。
でも、その道具で唯一無二のイメージ世界を自分自身の歓喜のために
撮ることができるかどうか。
自分自身のためというのが大切な気がします。
まず自分の心が飛びあがって歓喜しているかどうか。
1枚の写真を撮れたことで自分を祝福したくなるかどうか。
そういう意味では、
アマチュアの中に最高の写真家がいることも多いにあると思います。
カメラを1台も持っていない人の中に、
”世界と出逢ってしまっている人”がいるでしょう。
その人は撮る ”器械” や ”機会” をいままで持たなかっただけで、
自分の抜き差しならない何かを自分の目に写しとっているんです。
ただ形として残していないだけ。
正規軍に予備軍並に見えていない人がいるように、
予備軍のなかに正規軍をしのぐ強者がいるでしょう。
そう考ると、
玄人ー素人、プローアマチュアの違いは軽視すべきです。
業界で生きていくこと、お金を稼ぐ意味でのプロ、
常に安泰であることに重きを置くならば、
そこにはクリアな境界が分かり易く存在します。
”食べていけているかどうか” です。
でも僕は、それだけではダメだと思うんです。
食べて行けるかどうかというのは、
ものごとや創作の本質的なスタートにはなりません。
本物の創作力や実力の基準にはならないと思います。
いいものは必ず世に出る、金になるということを言うひとがいますが、
僕が最高によいと思うもので大きく世に出ていないものは
いくつもあります。でも自分の感性がとくに鈍いとも思いません。
またまた音楽での例えですみませんが、
先日観たバンド、最高でした。
たぶん、いま音楽で食べているようには見えません。
でも、とにかく”自家発電”してるんです。
(そう、あのバンドのことです。。)
他にはない、自分の肉体、気力、精神から溢れ出すものだけが頼りで
勝負できています。音楽がよいわるいではなく、
とにかくオリジナルです。
薪も枝もないところで火を燃やそうとするような苦しい苦しいバンドです。
わずかな火種で大きな炎を起こそうとします。
この前のライブでは、その炎がとても大きく燃え上がりました。
そして自分たちでさらに油を注ぎます。
他の人から力を得よう、影響を受けようとするより、
自分のなかの深いところにあるエネルギーを掘り起こす、
燃やすことに必死です。
友人のバンドだからひいき目に観たとしても、
マジでかっこいいと思います。
絵も写真も同じだと思うんです。
自分自身に向かって、
自分の個性の証明をしていきたいものです。
人に証明するのではなくまず自分に。
そういう意味では、自分の作品はまだまだ全然だめです。
プロではありたいですが、精神的に成熟するのは怖いです。
精神が大人になりきったら僕はいまは終わりだと思ってしまいます。
初期衝動がまだまだあるので、それを大切にしたいです。
自家発電できる作り手でありたいなあと思う今日この頃。
例にあげたバンド、ご推察の方、、ハイそうです、あのバンドです。
yoshiki