なんだか気持ちがスタックしている今日この頃。
仕事、制作、事務、つきあい、プロモーション活動などなど毎日毎日やることはたくさんあるけど、どれが自分の中心なのかよく見えない状態になっている。
ヨーロッパから帰ってきてからとくに顕著。
作品制作に戻ろうとしても、なにかよくわからいブレーキがかかり、
撮りたい"絵"が浮かんでもすぐに自分で疑問符を投げかけてしまう。
いったい何が起きているのか良くわからないが、とにかく早く春にならないかなあなんてところに活路を見出そうとしてみたり、何か気候や温度に自分の体が抵抗をしめしているような気がしないでもない。本当は全く関係ないとも思いつつ。
ヨーロッパで目にしたことの功罪がおぼろげに見えてきた。
いままではイメージが浮かぶと間髪いれず動きだし、そして撮影、また撮影、ひとつの写真作品ができあがるという、ある意味とても衝動的な動きをしていた。いま、なぜかそれがない。というかなんだろう、次の作品を探すためのひとつのリセッションなのかな。撮りたいイメージは無尽蔵にあるのに、どれもこれも中途半端なフィーリングが伴う。これはよくないことなのか、、なにが起きているのかはよく分からない。
こういう時は仕事の撮影にとても救われる。
ゴールが明確に設定されているし、それを目指せば迷いから一瞬遠ざかる。
yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-02-23 17:58
Facebookの公式サイトをオープンしました。
のぞいて、抵抗がなければ「いいね」をどうぞ。
http://www.facebook.com/YoshikiHasePhotography
yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-02-19 13:54
| 写真
古本屋で偶然見つけた古書ですが、読んでみたらだいぶはまりました。ほとんどメモのような記述ばかりですが、自分のなかのなにかが止まってしまいました。
I got an very old fashioned book at a secondhand bookseller in Shinjuku. Just a great book. The whole book consists of Alberto Giacometti's memorandums , his jotting down random thoughts that come across his mind. Good to read. y
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by yoshikihase
| 2013-02-06 16:53
いま毎朝必ずメールをくれる日本の友人から「この世は夢よただ狂え」という言葉をもらいました。良寛の言葉だそうです。今回の旅もあと2日で終えますが少しそんな感じで歩いてきました。"行き先決めず" は毎度です。今回は自分の写真を持ってきているという点で少し違うかなあと思います。形に見える成果はひとつだけでした。無形のものはどうでしょう、あとからあるのかどうか。とりあえず自分のなかに ”やりたい”という想いがまたたくさん生まれました。ヨーロッパに"狂った" 友人もできた。僕もあんまりいい子になるのは嫌だなあと思います。日本に帰ってまたたくさん撮りたいです。さて、最後のプレゼン、アポが取れるかどうか。。
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by yoshikihase
| 2013-01-26 20:52
| 写真
Turning to a Graffiti Artist... for now.
グラフィッティに転身だー(仮)
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by yoshikihase
| 2013-01-25 13:50
| 旅
パリの不思議なご縁で偶然ファッションフォトグラファーの SAIKUSA.S さんに出会い、作品の写真を見て頂きました。僕がもしファッションフォトグラファーだったら気絶するほど緊張していたと思います。というか写真をお見せできたかな。。世界的な往年の女優で彼にだけ写真を撮らせるという人が、いまだにいるという噂を聞いたこともあります。最初に出会った時僕はしばらく気づかず、いつもの調子で "SATOSHIさん"とかしばらく呼び続けてしまってました。。(驚)
とても雰囲気のある方で外国人とお話をしているようでしたね。これも写真が運ぶご縁でしょうか。。
yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-01-21 12:48
| 写真
フランスはロアンヌ、Troisgros(トロワグロ)の本場三ツ星を初めて訪れました。ずうずうしくも東京での撮影と同じように厨房にカメラを持って ”無許可” で乱入しましたが、誰にも止められず、温かく? 楽しく? 迎えてくれました! 親分のミシェルトロワグロさんは急用とのことで不在でしたが、なんとわざわざ「来てくれてありがとう」と電話でメッセージを頂きました。TOKYO もすばらしいですが本場もやはりすごい。規模、雰囲気、なんでしょうこの余裕な感じ。良い意味でルーズ、良い意味でフレンドリー、良い意味でパーソナル。素敵ですね。不休で動きすぎて、体力的にもメンタル的にも弱っていたここ2日間、温かいホスピタリティーにとても癒されました。
4代目のMr.セザールに実際に会うのは初めてでしたが、とても良い友達という感じ。個性的な面々がたくさんおりました ! Troisgrosを訪れるだけでもフランスに行く意味があるのではないでしょうか。そんなところです。
I was finally at Troisgros ROANNE. Everything was just beyond my exceptions. I met some friends and new faces, but everyone seems to be nice old friends for years. To be honest, I was little tired for the last few days because of my complex schedules and severe conditions of whether. But, the time spent in ROANNE blew away all that stresses. I jumped in the 3 Stars' kitchen and took the photos. Oh thank you very much.. Michel san was absent, I could talk with him on his calling. Bye for now,, ROANNE, yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-01-18 10:48
| 旅
ロンドンにて、写真集・デザインブックなどを出版しているちょっとゲリラ的なレジスタンスな出版社 ”TROLLEY” のディレクター Mr.マーティンに写真を見てもらいました。
写真というものを愛しているのがすごく伝わる人でした。紹介してくれたのは日本の友人画家 田内万里夫くん。彼の画集はなんとこのTrolleyから出版されています。すごい! さて、写真集を出すことは本当に大変なこと。実力と運が両方ないとだめでしょう。2冊目が出せるのかどうか。じっくり攻めるしかないですね。でもマーティンと知り合えたことは本当に嬉しかった。とっても才能を感じるし、モノ作りのセンスがキラリと光る男でした。映像作家でもあって、切れ味のあるストイックな映像を作っています。ほんとに言葉を超えて短い時間でも会話を楽しめるのは嬉しです。イギリス英語、ほんとに聞き取りにくくて苦戦します 笑 これ書いてる時点ではもうイギリスにはいないんですが。。実は。ロンドンー10度だったそうです。
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by yoshikihase
| 2013-01-15 16:46
| 写真
本当に毎日雨ばかり、、一人の時間が多いのでよけいに天気が気分を左右する。雨なのに傘もなく毎日10km以上は歩いている。歩いて歩いて 街のことがだんだん見えてくるような気がします。晴れのパリは果たして見れるのでしょうか。。
明日は盟友の画家 田内マリオくんの知り合いのイギリスの出版社のイベントに立ち会いにロンドンに向かいます。メランコリーに拍車をかけるように、いまはメローな音楽ばかり聞いてます。それでも雨もそんなにわるくない。
It's been rainy days since I'd arrived in Paris. Is it normal here? I walk everyday more than 10km, all around the town. By doing so, I feel myself fitting to the atmosphere. Walking without an umbrella is NOT really bad. It's cold and wet. I walk ok in the rain. Tomorrow, I leave for London temporarily. Back in paris pretty soon.. yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-01-13 11:45
| 写真
ヨーロッパ行脚ではいろいろな人に会っています。先日はパリ中心部にほど近いギャラリー街にあるギャラリーオーナー、フローラ ジャンセン女史に写真を見て頂きました。
写真にはとても興味を持って頂きましたが、当ギャラリーの作品の方向とはマッチングできませんでした。こういう出会いのひとつひとつがとてもよい緊張をもたらします。長い時間かけて作った作品のPAGEをめくる(または、めくられる)瞬間は、本当に茶室のお手前をしているかのごとく静謐な時間が訪れます。息が止まるというか、なんというか。。日本で撮った作品をフランス人が真剣に見ているその横顔を見ると、なんとも不思議な気分になる。そして、写真を見せた後はいつも人との距離が縮まることが本当に素敵です。 yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-01-11 11:42
| 写真
ヨーロッパ巡業に旅立ちました。
3年ぶりの新しい作品と、製作中の作品の2本を携え、様々な人に会う & 久々に未知の
領域に自分を投げ入れるという2つの目的を心に抱いています。
毎日毎日、自分の目が、写真とアート漬けで、本当に最高のパルスを全身に浴びている感覚です、、街中を歩いて、たくさんの知らない人と会話をして。
在東京のフランスの友人や遠くアメリカの旧友のコンタクトをとっかかりに初対面の人に沢山会い、 "写真"が 色々な形で扉を開いてくれることにまた新鮮に感動しています。
パリジャンは少なくともアートの周りにいる人はとても繊細で温かいと感じます。
英語も通じるしみんな親切。パリもフランスも初めてなのに。
予定は未定ですが、作品が開けてくれた扉の向こう側にいまはただ踏み込んで行こうと思います。
Right now I am on the tour in Euro. My trip will not be on the track as scheduled and it's totally ok for me. I saw some fabulous people already and that was the most wonderful thing after all. "Photography" is always universal and I perceived we shared the same recognition. Hopefully my work will find the way and take me somewhere I shall be. I found myself comfortable in not knowing where my steps lead to. yoshiki
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by yoshikihase
| 2013-01-09 16:39
| 写真
世界で起きていることのダイナミズムに比べれば、一写真家の取り組む写真 作品なんてゴミのように小さいものだ。
溢れ出すアウトプットや日々目の前で行き交うものごとの流れを見渡すと、自分のやっていることのあまりのローカルさと特殊性に時々ゲンナリする。
しかし、そのたわいもない一写真家の繰り出すビジュアルは、写真家にとっては唯一無二の"入り口"であり"チケット"でもあって、こういう非常にローカルな視線の飛び血からしか何も産めない現実を諦めと悟りでなんとか日々乗り切ることで、ようやく一つの"完成"へと近づくのだ。
そういった意味でいうと、
作品にかけた時間の長さというのは写真に対する一つの大切な指標にもなって、
作品が優れているかはおいて、写真家がどれだけ"チケット"を持たない殻の時間に
耐えることができたか、あるいは途中下車したのか、ということが見え隠れする。
すぐ形にならないモノが形になるモノより尊いということを言う訳ではなく、
少なくとも"自分"というビックリするほどローカルな存在への嫌気と戦いながらそれに付き合うことができたか否かという、ちょっとした家内勲章的なもの。
そんなものが作品からもし見えた時、僕は少し感動する。
途中で"完成をみた"ことにするのは簡単なこどだが、
ある非常にローカルな作り手にとってはこれほど難しいこともないだろう。
世間のニュースを知らなくても、そんな形で世の中と繋がるのが本来の制作者というもの。
多分、写真に限る話でもない。
と、 思います。 yoshiki
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by yoshikihase
| 2012-10-25 11:04
ジャケットの写真撮影を担当したジャズシンガー牧野竜太郎さんのセカンドアルバム " Kind of Love "が 9/5に発売になりました。
ジャケットのインサイドページにも牧野さんのベースタウン鎌倉で撮りおろしたポートレート写真がいっぱいです。ニューヨークと東京をまたにかけるジャズシンガー牧野竜太郎さんのミュージック、是非聴いてください。
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by yoshikihase
| 2012-09-18 19:48
| 写真
写真の被写体の背景となるバックグラウンドは、売っているものやレンタルするものに納得できる趣のものが少ないため、最近は自分で作ることが多い。フォトグラファーは自分のビジョンを実現するにあたってスタイリストなどに服なり背景(バックグラウンド)なりを用意してもらうことが多いわけですが、ただ本当に欲しいものが出てくる可能性は100%にはほど遠く、無難で安全なとりあえず "失敗のない" ものが用意される傾向が強いと思う。
従って、実際にはもしフォトグラファー自身に細かいビジョンがあるならば、自分でそれを用意する方がよいケースも多い。ということで時間の限られたなかで、工作をしたり、絵を描いたり、布地を切り裂いたり、石膏で彫刻をしたりという作業がどうしても多くなってくる。基本的に全ての行程を自分一人でできるくらいでないとよいフォトグラファーではいられないと思う。あくまで私見ですが。。もっともっと自分のビジョンを視覚化できるようになりたいなあ。。彫刻家や絵描き、工作人に学ぶことがとても多い。。
yoshiki
#
by yoshikihase
| 2012-06-01 18:56
新宿副都心のホテル ハイアットリージェンシー東京にて21日より写真展示が始まりました。ホテル内の2つ星フレンチレストラン「トロワグロ」とのコラボレーションでお仕事をさせて頂き、そのご縁で今回の企画展にお招き頂きました。展示した作品は、取り組んでいるいくつかの作品の中で特にアバンギャルドなシリーズです。ホテルというパプリックな場所に相応しいのかどうか、未知数ではありますが、むしろ面白いと信じております。写真展のタイトル「incomplete」は(未完)という意味です。日々僕の頭の中に浮かぶ数々のイメージの断片を写真化した作品。意味やアイデンティティーを求めずに「???」な感覚をそのまま持ち帰って頂けたら作家としては嬉しい限りです。3月末までホテルハイアットリージェンシー東京 ロビー階の下(1F)にて毎日展示しております。新宿にお越しの際にはぜひお立寄りください。
ホテルURL
http://www.hyattregencytokyo.com/index_pc.html
yoshiki
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by yoshikihase
| 2012-02-23 21:34
「写真の値段」というものについて考えさせられる今日この頃。
付けられる値段というものが、アート作品、コマーシャルの仕事に対し、その関わる人達がどういう捉え方をしているかをみる一つの指標になるのは間違いない。
「写真あっての@@でしたよ」という考え方を持ってくれる人にとって、写真を撮る人はレスペクトの対象にもなりうると思うし、たとえお金で対価を払えない場合でも、それ相応の人間的繋がりを担保できることが多い。そんな時は嬉しい。
逆に、紙切れ(またはデータ)としての写真がいま必要なだけ、持っている技術(とかデータとか作品)をとにかく今提供してくださればそれでOKというスタンスの人は、その共有する ”時間” の密度も薄くなることが多いし、ノドもと過ぎれば、、という関係になることもあるかもしれない。
とはいえ、関わる人やコミュニティーに対しいろいろな補填を期待することが、そもそも間違いかもしれない。
そもそもこの職業は、はじめからリスキーなものだから(?!)
アート作品の場合、何十万と投資して作るものでも、はたから見れば紙切れ1枚でしかなく、価値を見ない人には、それこそなんの価値もない。
コマーシャルの場合でも、写真を撮る時間というのは 125分の1秒とか、60分の1秒とか、とても短いわけで、それを500回繰り返しても、結局「1日」ということになる。それを「ただの1日」と考えるのか、代わりの効かないスペシャルな1日と捉えるのか、、このあたりは、人それぞれのセンサーの違いが、写真の仕事を得体の知れないものにしていると思う。
「1日」の創造のために費やす膨大な下作業、個人的な時間は、とても「1日」とは呼べない代物であるけれども、その価値を計るはっきりとした物差しは残念ながら用意されていない。(写真家の悩み)
だからこそ結論としては、繊細な人と人との関係性、リスクを互いに共有しようという想いが大切であって、とにかく一緒に腹を切ろうという想いがあるかないかは、大きいと思う。
損はダメ、こちら側はとにかくベネフィットがマスト、写真の中身はあまり大事じゃない、技術があればそれだけでいい、、、では、最終的に見えない何かがくずれていくんだと思う。
でも、大きな話をすれば、リスクが想定外の出逢いや機会を運ぶこともまたあるということ。それを個人的に信じる二人が手をつなげば、なにか大きいものが生まれるスタートになるんでしょう。そういう出逢いを重ねられる人だけが、仕事の真の価値を理解できるんだと思います。
yoshiki
#
by yoshikihase
| 2012-02-16 23:48
展示用に120cm x 170cm の巨大ラムダプリントを発注してしまった。なぜか少し勇気が必要なり。巨大プリントの制作は何度しても緊張する。仕上がりの想像が難しいからだろうか。失敗したくないという想いが強すぎるせいかも。実際にできてみないと結果は分からない。構想も仕込みも撮影も、結局はコントロールしているつもりでもどこかは " エイヤー "になる。全ては疑問の繰り返し。なんで最後の発注段階になって緊張するんだろう。それ自体はただデータを渡すだけなんだけど。
yoshiki
#
by yoshikihase
| 2012-02-08 18:06
2012年、最初の月から昨年に引き続き作品撮影の雨アラレであっという間に一月が過ぎようとしています。色々なインスピレーションの乱立から不協和音的な秩序回復のひとつひとつが写真となります。難しいモチーフに挑戦しているので時間がかかります。下準備ばかり。今年の後半はいくつかのシリーズ作品をまた世に出せる年になりそうです。
仕事も作品も前進あるのみ。
さしあたって2月半ばからは、新宿区副都心のハイアットリージェンシーホテルTokyoにお招き頂き、企画写真展を開催する運びとなりました。こちらは、いままで撮り進めてきた作品群ではなく、今回だけの撮り下ろしのものを幾つか展示しようと思っています。まだ完成していないのですが。間に合うのかしら。。
yoshiki
#
by yoshikihase
| 2012-02-05 20:42
昨日、本年度最後の仕事の撮影を終へ、
本日、本年最後の作品の撮影を終えました!
今年は、仕事と作品の撮影がフィフティフィフティの割り合いで、理想的な年でした。お金は決してたまらないけれど、作品を作るなかでの限りない挑戦が仕事にも十分に生きたし、あらゆるリミットは自分がただ先入観で設定している幻想であることも体感できました。
陰をも光に転換できるアートの真髄は、レベルの高いコマーシャルで
あれば、まだまだ通用するし、そこにかける、そこを表現しようとする勇気が、とにかく一番大切なんだと思いました。
ありきたりなものは排除しよう。そんなに創造の世界はちっぽけなものではない。
この人にはこのくらいよものでいいだろう、このコミニティーには、この位のもので丁度いいだろうというモノの提供の仕方は、インテリジェンスであっても、絶対にあってはいけないことだと思います。限りなくアーティスティックな腹黒さをも取り込む世界と、とほおもなく美しい真っ赤な夕陽のような純真な世界は、決して相反するものではなく、ウラの世界、本質的な世界ではしっかりつながっているということをこれからも証明しつづけていきたいと思います。それが、僕の来年の使命です。
リミッターは完全にオフです!
yoshiki
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by yoshikihase
| 2011-12-29 13:52
僕の写真集
" The Happiness Within" を 映像作家の矢吹和彦氏が映像化してくれました。声の主は、写真集に登場する黒人男性 ジェームズ。ジェームズは5歳の時に兄に傘で目をつつかれ片目を失明。その後学位を取り病院に勤めるも、HIV陽性であることがわかり辞職。支えてくれていた白人のフィアンセと人種の違いを越えられず(家族の反対で)別れ、希望を失いホームレスに。10年後の 2005年に僕はニューヨークで彼に出会いました。当時の僕にとっては、彼と話をすること以上に意味のある時間を知りませんでした。写真集に収めることができなかった彼の肉声を、僕はテープで録音していました。その言葉は、とてもここで語れないほど美しく、深く、尊厳に溢れたものです。いまも彼はNYで生きています。
この映像は東京で開催したイベントで流したものですが、今日アップいたします。ジェームズの肉声は、長いテープのうちのほんの一部ですが、是非聴いてください。BGMはスティービーワンダーとビージーズです。いつYoutubeから削除されるか分からないので、いまのうちにどうぞ。矢吹くん御協力ありがとう。
→ 映像はこちらからどうぞ
HASE YOSHIKI
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by yoshikihase
| 2011-12-01 18:12
写真のジャンルには色々ありますが、
その中にドキュメンタリーというのがあります。
ドキュメンタリー写真というのは目の前で起きているニュースだったり
事件だったりストーリーだったりを記録、伝達するというのが一般的な
理解だと思います。
でも、ドキュメンタリーというのは必ずしも真実とは限らず、
またドキュメンタリー以外のものが真実でないとも限らないと思います。
ドキュメンタリー以外の写真、、、
例えば、
写真家が勝手に作り上げた世界、
完全なる創作の世界、
ファンタジーの世界であったとしても、
撮っている人や、鑑賞する人の中で
電気が走るような瞬間がもしあるとしたら、
その写真はなにか”真実に触れた写真”と言えるのだと思います。
その真実は、だいぶニッチなものであるかもしれませんが、
真なものにメジャーもマイナーもありません。
そういう意味では、社会的な意味を持つ必要はなく、
はたまた作るものに ”意味” そのものすら必要ないと言えるでしょう。
テーマもいらないし、伝えたいこともなくてよいと思います。
それを通じて人と出会ったり、何かを学んだり、自分が成長できる、、、、
というのはナンセンスです。
体よく作るものには本質的な限界があるでしょう。
(作った結果としての出会いや学びはあると思いますが)
何も持たない絵やダンスや写真であっていいわけです。
何も持たない、、でも、足を止めてしまう。
ただ一点、「!」 という電気があるかどうか。
それが唯一大切な持ちもの。
「!」があれば、その何かは見る人にとっての
完全無比なドキュメンタリーに自然になっています。
今日はそんな絵や写真をたくさん観ることができました。
yoshiki
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by yoshikihase
| 2011-10-27 01:02
自家発電が大事です。
一応、アート、写真の話です。
”自分にしか出逢えない”
という感覚が写真の撮り手の命だと思います。
お金があればカメラは誰でも手にできますし、
プロの写真家・カメラマンであれば、
1人数台のカメラを持っているのが普通です。
でも、その道具で唯一無二のイメージ世界を自分自身の歓喜のために
撮ることができるかどうか。
自分自身のためというのが大切な気がします。
まず自分の心が飛びあがって歓喜しているかどうか。
1枚の写真を撮れたことで自分を祝福したくなるかどうか。
そういう意味では、
アマチュアの中に最高の写真家がいることも多いにあると思います。
カメラを1台も持っていない人の中に、
”世界と出逢ってしまっている人”がいるでしょう。
その人は撮る ”器械” や ”機会” をいままで持たなかっただけで、
自分の抜き差しならない何かを自分の目に写しとっているんです。
ただ形として残していないだけ。
正規軍に予備軍並に見えていない人がいるように、
予備軍のなかに正規軍をしのぐ強者がいるでしょう。
そう考ると、
玄人ー素人、プローアマチュアの違いは軽視すべきです。
業界で生きていくこと、お金を稼ぐ意味でのプロ、
常に安泰であることに重きを置くならば、
そこにはクリアな境界が分かり易く存在します。
”食べていけているかどうか” です。
でも僕は、それだけではダメだと思うんです。
食べて行けるかどうかというのは、
ものごとや創作の本質的なスタートにはなりません。
本物の創作力や実力の基準にはならないと思います。
いいものは必ず世に出る、金になるということを言うひとがいますが、
僕が最高によいと思うもので大きく世に出ていないものは
いくつもあります。でも自分の感性がとくに鈍いとも思いません。
またまた音楽での例えですみませんが、
先日観たバンド、最高でした。
たぶん、いま音楽で食べているようには見えません。
でも、とにかく”自家発電”してるんです。
(そう、あのバンドのことです。。)
他にはない、自分の肉体、気力、精神から溢れ出すものだけが頼りで
勝負できています。音楽がよいわるいではなく、
とにかくオリジナルです。
薪も枝もないところで火を燃やそうとするような苦しい苦しいバンドです。
わずかな火種で大きな炎を起こそうとします。
この前のライブでは、その炎がとても大きく燃え上がりました。
そして自分たちでさらに油を注ぎます。
他の人から力を得よう、影響を受けようとするより、
自分のなかの深いところにあるエネルギーを掘り起こす、
燃やすことに必死です。
友人のバンドだからひいき目に観たとしても、
マジでかっこいいと思います。
絵も写真も同じだと思うんです。
自分自身に向かって、
自分の個性の証明をしていきたいものです。
人に証明するのではなくまず自分に。
そういう意味では、自分の作品はまだまだ全然だめです。
プロではありたいですが、精神的に成熟するのは怖いです。
精神が大人になりきったら僕はいまは終わりだと思ってしまいます。
初期衝動がまだまだあるので、それを大切にしたいです。
自家発電できる作り手でありたいなあと思う今日この頃。
例にあげたバンド、ご推察の方、、ハイそうです、あのバンドです。
yoshiki
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by yoshikihase
| 2011-10-20 00:20
最近、写真をやっていてつくづく感じるのは、
つぎの2つがいかに大切かということです。
・細心の計算と周到な準備
・”場”の偶然を取り込めるマジカルな力
「細心の計算と周到な準備」というのは、
被写体になってくれる人やモノの細かい手配、
撮る場所の構想と探求、あらゆる想定外をも”想定”した
バックアップなどなど、
とにかく撮りたい絵を実現するために
必要なあらゆる準備です。
頭で描いた絵を実現する過程では、
無理だろうなあと思ってしまう障害は必ず出てくるものです。
でも、なにかしらクリアできる方法もあるかもしれないので、
とりあえず "無理" を実現化するためにあらゆる手を尽くします。
ときには少し強引に。
ホームセンターに行って必要なモノを探すという細かいことから、
被写体になって欲しい人へのメールや電話での繰り返しのお願い、
はたまた協力してくれる人、迷惑をかけてしまう人に頭を下げるようなこと
までも含まれます。
そういうことを限りなく行います。
そして、2つめの「場の偶然を取り込めるマジカルな力」というのは、
たとえどんなに準備を完璧にしても、
実際のところは60%しか準備ができていない
ということを、自覚している状態を指すと思います。
つまり、写真は、
撮る瞬間に起きることだけが全ての世界ですから、
いくら細心の準備をしても、その準備は全て”過去”です。
撮影の当日、撮影の瞬間に、その場で身にふりかかる出来事を
管理はできません。
それが何かは分かりませんが、何かが ”起きて” しまいます。
(または、残念ながら何も起きなかったという結果になります。)
自分ではコントロールできない部分が絶対に残るということです。
ただその時、反動でとる自分のリアクションとそのクオリティこそが、
真の写真家の腕の見せ所であると思います。
それが「場の偶然を取り込めるマジカルな力」を指します。
何かが ”起きている” ことにそもそも気付くことができるか。
できたとして、美までもっていけるのか。
瞬間的な判断だけが頼りです。
体中の神経が暗視レーダーのようになっています。
一例をあげます。
人の写真を撮っているとします。
被写体の人が疲れてしまい一瞬しゃがみこんでしまいました。
次に立ち上がる時に、
たまたま地面に落ちていた直径30センチの大きな石を
両手で拾い上げたとします。
こちらはものすごく神経を研ぎすましています。
その石を拾い上げて立ちあがった姿が、万一 ”何か”だったとしたら、、
その瞬間、石を持ったままでいてもらうのか、
はたまた、やはり地面に戻してもらうのか。。
瞬間、こちらの側に予想もしなかった選択肢が突然つきつけられるのです。
(被写体の人は、そんなことはどこ吹く風です)
「被写体が石を持つ」ことは想定外でした。
そして、何の説明もつけられないでしょう。
そんなものは最初からありません。
それでも、その石を持つか持たないかの二者択一に
僕は ”正解” があるんではないかと思ったりします。
写真ができたときに何が見えてくるはずなのか、、
石のことは忘れるべきだったか、
それとも、それこそが ”起きていた” ということだったのか。
撮る瞬間に分かるときも分からないときもあります。
「撮影を始めますから、その石は下に置いて下さい。」と
軽々しく言ってしまうのではないということです。
究極の判断が 1秒〜5秒 くらいのリミットとともにつきつけられます。
そこに選択肢があることが ”見える” こと、
それを取捨できるかどうか。
才能とかマジカルな力にかかってくる部分なのかもしれないです。
昔の写真家で神懸かり的な写真を撮っている人の作品を見ると、
おそらくそういう ”偶然” をもコントロールするような
悪魔か天使か分からないような力を備えていたに違いないと思うことが
あります。
それこそが、 真の写真力 だと思います。
こんなことを書いたのは、図書館で見た画集に載っていた言葉が
とても心に響いたからでした。ジョアン・ミロが残した手記だそうです。
" 鉄片や石ころ、またとない偶然から見つかった品々を利用すること。
芸術で肝心なのはこの魔法の閃きなのだ。
埃であれ、光のきらめきであれ、
僕には出発点が必要なのだから" -- Juan Miro
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by yoshikihase
| 2011-10-04 16:09
昨年2010年から頻繁に、本当に頻繁に岐阜県に通い続けています。
岐阜県の最南部、「恵那(えな)」という街に。
もともと「ふるさとがえり」(
http://hurusatogaeri.com/)という映画の制作スタッフとして
スチールカメラマンの仕事をするためでしたが、
映画の撮影をきっかきにして、
パーソナルワークの制作も彼の地にて開始しました。
映画の撮影は一足先に昨年夏に終了し、
残すはパーソナルワークの制作のみとなりました。
写真作品の製作期間は1年半を越え、
まだ長期戦まではいかないけれども中期戦の様相を呈してきています。
ここ1ヶ月に仕上がった何枚かのカットは、
これまでやってきた制作に完全にギアが入った状態を証明するような
写真となりました。
頭での印象としては、
今回の作品は本当にパーソナルなもので、
社会的な要素はゼロ。
”日本”という舞台で、自分の審美眼、状況構築力、アドリブセンス、
スタイリングセンス、そして、写真の神様が降りてくるか、、否か、
というレベルでのみ製作に取り組んでいる作品です。
2006年にアメリカから帰国して以来、自分のビジュアルテイストとして
日本という場所でどんな写真を撮ることができるのか悩みました。
「木造の茶」より「レンガの赤」を好み、
「湿り気」より「乾燥」を好み、
「具体的な風景」より「無国籍な風景」を好む自分の写真は、
じめじめした緑が跋扈し、電柱が乱立する日本の風景とは
ビジュアルマッチングができないと悩んでいたのです。
でも、恵那という街に帰ってきて(実は祖父と父の生地であり、
本当に偶然そこで映画の仕事が発生しました)、
長い時間その街と向き合い、ローカルの人達とのエンドレスな
出会いを繰り返すうちに、
自分が得意としていなかった背景としての風景=
湿り気やピュアすぎる緑色、
といったものにもどう取り組めばよいかが分かってきたのです。
むしろ抑えようのない日本的な濃厚なエキスを使って、
その反動で写真を切り取ることができるようになってきました。
僕の脳みそには、
いま完全にロジックがなく、
目の前で起きるビジュアルに対して
瞬間的な ”合致” ”不一致” だけを(確信を持って)
判断する器械となっている気がします。
メッセージも何もありません。
とっても嬉しいです。
こっちの方がいいのかなぁ、、これもなんとなくいいよね、、
というレベルのものがほとんどなくなってきました。
本当にようやく、日本の風土を背景に
力強いものを撮ることができるようになってきました。
心地よい風景写真や、空や山、動物、、
が好みな鑑賞者には、
完全に期待を裏切る作品となります。
でもそれでよいのです。
写真は恵那でのスナップ(作品ではありませぬ**)
#
by yoshikihase
| 2011-08-28 20:20
| 写真
明日、
7月4日(日) 午後10:00〜11:30 NHK 教育 ETV特集に
少し出演します。是非見て下さい。
YOSHIKI
#
by yoshikihase
| 2010-07-03 21:59
告知でーす。
たぶん文章長くなりまーす。
最後にイベント告知があるので、終わりまで読んでくださーい。
本題。
ニューヨーク時代に HIV +1の人たちとの出会って写真を撮り
はじめてから、6年ほどの時間が過ぎました。
個人的にHIV問題に関わりはじめるようになり
6年が経ったということです。
仕事以外でここまでしっかり関わったことって正直あまり
なかったかもしれないです。
日本に戻ってから写真集「The Happiness Within」の出版があって、
そこから陽性者支援団体「ぷれいす東京」の生島さん、大槻さんに出会い、
新宿2丁目 Akta ディレクターの張由起夫さん(ハスラー ザ アキラさん)に出会い、
日本のHIV陽性者の人々と出会い、ゲイコミュニティの人々に出会い、
お医者さんに出会い、いろんな不思議な人にも、素晴らしい人にも出会い、
自身の写真展も計12回(?)を数え、
HIVを軸としていろいろなことに想いをよせるイベントを開催、
コラボ参加などしてきて、たくさんの経験を積みました。
(まだヒヨっこですよ。)
僕がHIVのことに関わっているのには、わけがあります。
こんなことが頭に巡るんです。
「僕はなにをして生きていけばいいんだろう」
「なにが人生のテーマなんだろう」
「なんでむなしいんだろう。」
「孤独?」
「さびしいのはわるいのか?」
「大切な人って、ほんとに貴重だよね」
「何で不安なの」
「社会ってなに?」
「どう関わればいいの?」
「助けるってなに?」
「そんなことできるの?」
「答えってあるの?」
「いまの自分はしあわせなの?」
「あしたから何をするの?」
こんなあらゆる問いかけにいつも新鮮な答えや発見を
与えてくれるんです。
それがHIVの問題に関わるということなんです、僕にとっては。
不思議な不思議な問題(=力)なんです。
「検査を受けよう!」「ストップ ザ AIDS !! 」が、HIVではないんです。
(それも一部でありますが)
白黒では割り切れない。たくさんの「?」が残るんです。
HIV陽性者であっても、そうでなくても、ストレートでもゲイでも、
女性でも男性でも、どんな国籍、人種でも、あらゆる垣根をすぐに
とび越えます。
と同時に、つねに繊細な問題と障壁が残る感じもあります。
言語化、種類分けできない「中間」を感じます。
すごくリアリティがあります。
あらゆることが自分の問題に聞こえてきます。
生活そのものを立ち止まって考える貴重な時間を与えてくれるんです。
自分が日々やっている仕事が一旦頭から離れ、
ミーハーな自分に気づいたり、まじめな自分に気づいたり。
自分の "本当の仕事”について考えさせられるんですね。
うー苦しい。。
では、告知でーす、
66回目を迎える 新宿2丁目のイベント「Living Together Lounge」 に
ゲストスピーカー(=朗読&トーク)として出演いたします。
以前、ソトコトなどの雑誌などでも記事を書いたイベントです。
小さなクラブでの小さなイベントですが、
6月6日(日)の夕刻、遊びにいらしてください !
少しいつもと違う何かを感じてもらいたい、、です。
短いですが、素敵で不思議なイベントです。
お待ちしてます。
Living Together Lounge vol.66
新宿2丁目 クラブ Arch 17:00-20:20pm
イベント詳細以下(これに出演します)
http://www.hiv-map.net/01_topics.html#043
(関連サイト)
過去のLiving Together Lounge
http://www.living-together.net/
FM TOKYO x Living Together(関連イベントです、曽我部恵一さん出ますね〜)
http://www.thinkaboutaids.jp/
YOSHIKI
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by yoshikihase
| 2010-06-03 00:31
いま取り組んでいる仕事が、
いろいろなことを教えてくれる。
そして、写真展の会場で出会った明光義塾という塾を
群馬で開いている方から久しぶりにメッセージを頂いて、
すごく内容も素晴らしく、改めて同じことを想ったので、
その方に送った自分の返信メールをそのまま載せます。
いまこう想ってます。
** 自分メールよりの抜粋 **
ところで、最近想うことがありまして、
1.
「明日」というのは単なる仮定であって
もしかしたら「明日」はないかもしれない
2.
「いつか」というのも理由のない憶測であって
自分の考えている「いつか」は永遠に来ないかもしれない
3.
数字ではかれる概念で生活をつくると
人生の軌道が狭くなる
4.
「自分の本当にしたいことは何?」という問いに
今の状況を前提にして答えることが多い
5.
上記 4.の”問い”に突拍子もない答えがあっても
全然よいのではないかと思う。
たとえば、「来月から世界一週してきます」とか
というような状況の自分に少し気づきました。
先日、東急ハンズの工具売り場で、
5歳くらいの子どもがプラスドライバーの先っぽを
床にごりごりあてて床を掘ろうとしている姿を見ました。
なんかハッとしたんです。
「プラスドライバーの使い方」は別に決まっていないんだって。
あの子どもにとってのドライバーは
「床を掘って傷つける道具」だったんです。
それでもよいですよね。
最近取り組んでいる仕事でも、
そういった自由な心と発想がものすごく求められています。
僕の仕事はやはり、自分の気持ちと心と脳みそを
どんどん開放(解放)していくことだと思います。
そういう生き方をしたいですね。
******
Yoshiki
SYNCHRONICITY `10 、
曽我部恵一バンドだ ! !
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by yoshikihase
| 2010-03-15 20:56
よい詩を見つけたので、
転載します。
========転載==========
「苦難にある者たちの告白」(日本語訳)
−ある患者の詩−
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
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by yoshikihase
| 2010-02-27 22:21
11月14日のPLSMISでの " The Happiness Within " は
お子様連れの方も大歓迎でございます !
幾人の方からお問い合わせがございましたので、
本ブログにてお返答させて頂きます。
とにかく ハートフルで暖かい空間を創りたいと思っております。
詳しくは、 www.kikyu.net まで。 yoshiki
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by yoshikihase
| 2009-11-04 16:52
11.14 のイベントに向け、DJ Mix のイメージ固め。
DJ Ko UMEHARA さんにお願いするMIX 用の "土台固め”。
イベントでどうしても表現したいスウィートでハートフルなフィーリングを
伝えなきゃ。こころがオレンジ色になるような音の共鳴。
DJ の人と深く関わって作業するのが初めてなんですんごい楽しい。
うまくイメージを伝えないと。
あーこの曲の感じ 、、あの曲の感じって欲張りになってしまう。
好きな曲、音、リズムの間をトリップして、ブリッジして、MIXして
無限の空間を旅するDJの人って憧れる。
すごい快感だろうね。 yoshiki
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by yoshikihase
| 2009-10-31 23:16